CRAFT

琉球ガラスについて

仲吉幸喜

沖縄県工芸士 / 平成16年 認定番号43

  • 昭和26年5月9日沖縄県糸満市真栄平のサトウキビ農家に生まれる
  • 三和中学校卒業
  • 南部農林高校で農業を学ぶ
  • 卒業後、開発青年隊(社団法人 沖縄産業開発青年協会)に入隊 普通自動車免許よりも先に大型特殊自動車免許を取得する
  • 大手建設業社に入社し、全国のダムや成田空港の滑走路の建設に携わる
  • 27歳の時に沖縄にもどる
  • 義兄である大城孝栄さんの誘いで国際硝子工芸社を手伝う
  • 手伝うだけと軽い気持ちだったが、今年で27年目の琉球ガラスとの関係…。
  • 休みの日は3000坪のサトウキビ農家という二足のわらじを履く
  • ガラス職人になっていなかったら…専業農家

青年隊

高校を卒業した仲吉さんは、「開発青年隊」に参加しました。「海外青年協力隊」やお昼のテレビ番組の「いいとも青年隊」を想像した方は正解ではありませんが、発想は若造と同じです(ぺこり)。正式には「沖縄産業開発青年隊」で、半年間の合宿共同生活を通して規律訓練をしながら、大型特殊自動車免許などの技術取得や農作業を行うところだそうです。

大型特殊の免許を取得したいという軽い気持ちで参加した仲吉さんは、規律の厳しさに驚きました。免許取得の目的がなければ、脱けだしていたかもしれません…。毎朝5時に起きてのランニングはつらいし、日中は飯ごうに弁当をつめて農作業にでかける。夜中には非常点呼と称して、たたき起こされることも多々ありました。 でも今思えば合宿みたいで楽しかったけどねと笑顔で振り返る仲吉さん。「非常点呼」って起こされただけで、何もしないでまたすぐ寝るんだよ(笑)。訓練だからって言われればそれまでだけどね。農作業は今でもやっているし、いつの間にかマラソンまで走るようになっちゃったしね…。本人は意識されていないようですが、この時の半年間は、ある意味仲吉さんの原点とも言える経験だったのかもしれません。

しっかり大型特殊免許も取得して、東京の大手建設会社にも就職できたそうです。大型特殊って普通自動車免許を持っていることが、受験資格かと思いきや、そうではないんですね。ブルトーザーやクレーン車の運転してから数年後に普通自動車免許を取ったんだよと仲吉さんは教えてくれました。

修羅場

仲吉さんは大手建設業社に入社し、全国のダムや高速道路、成田空港の滑走路などの建設に携わりました。キャタピラ付きのブルトーザーや45トンの超大型トラックなどの運転をしていたそうです。45トンって半端じゃないですよ。細い道大変でしょうというのは若造の愚問で、公道は走れないので、作業区域内のみの移動だったそうです。

全国の工事現場を回って、全国の飲み屋さんも回ってきたそうです。それも半端じゃない…。毎回朝方まで飲んでいるのですが、部屋に帰って寝ると絶対起きられないという自信があったので(どんな自信だ…)、そのまま仕事に出かけることが多かったとのこと。午前中は完全に酔っ払い運転状態…。たまにウトウトしちゃったりもしたそうです(恐)。 “ブルトーザーのウトウト運転”…何が恐いって、ウトウトしてしまったその場所は、ダムの建設場所で絶壁の上だったりしたとのこと。生きててよかったです…マジで仲吉さん。

成田空港の滑走路の工事では、更に修羅場をくぐってらっしゃいます。当時、新東京国際空港建設反対運動の拠点とも言われる三里塚(さんりづか)の集会場近辺でも工事をした仲吉さん。「反対派の実力行使のため、その日の作業は中止」…なんて話はよくあったようです。そしてもっとすごいのは、実際に火炎瓶を投げられて避難した経験もあるそうです(マジ恐)。 そんな数多くの修羅場をくぐってきた仲吉さんは、もちろんちょっとやそっとじゃビビリません。そんな話を聞いただけで、若造はビビリまくりですけど…。

那覇マラソン

仲吉さんに休日の過ごし方を聞いて、これまたドッキリ。休みの日には3000坪のサトウキビ畑で農作業やっていますとのこと。それってしっかり仕事で、庭いじりの趣味の世界とは全く違います。聞くと数年前から実家の畑を継いで農業をしているそうです。収穫期の12月から3月以外は、毎日畑に出なくてもいいとのこと…とは言っても休みの日はいつも農作業っていうのは大変。「休みの日は30分も家にいられないから大丈夫だよ」ってそっちの方がなんだか大変って感じもしますが…。

上原さんがハエ取り器を作っていた頃、仕上げの後に徐冷窯まで運ぶ作業に現在のようにボンテ竿ではなく、「カッパ」と呼ばれる道具が使われていた。言葉で説明するのは難しいのですが、マジックハンドみたいに全体をつかむように挟んで固定するもので、これを上手に使うとボンテ跡が残らない。 そして、素人若造をビックリさせたのは、ガラス製の吹き竿のお話。同じ薬瓶などを何百、何千と作るので、工程を短くして時間を短縮するために金属製ではなく、ガラス製のものを使用していたとのこと。中が空洞のガラス棒を25メートルほど引っ張って作るらしいです。急に引っ張ると薄くなるので拡声器で指示を出す職人のもとゆっくりと、地面に着くと温度差で割れてしまうので板を敷いての作業。やわらかいとすぐに垂れてくるし、もちろんねじってはいけない。上原さんも下積み時代にはそればかり毎日何十本と作ったこともあるとのことですが、慎重に慎重を重ねるけど、何度も失敗して怒鳴られる。数々のプレッシャーの中の作業だったらしいです。

ガラス製の吹き竿は使えば使うほど短くなっていきます。ストローぐらいの長さの吹き竿をイメージしたが、もちろんそんなに短くなるまでは使わないのであしからず…。

量産化

仲吉さんは、“琉球ガラスなら、飛ぶように売れた”という時代を知っている。その当時の営業の仕事は、注文をとって売ってくるのではなく、品切れの謝罪をすることだったと言われるほど売れていたらしい。俗にいう「作れば売れた時代」であるが、残念ながら現在はそうではない。

「作れば売れた時代」を経験した仲吉さんは、量産するためのやり方・要領を常に考えている。「あの頃のおいしい思いが忘れられない」というのではなく、量産すれば1個あたりのコストが下がることを知っているからです。もちろん基本には品質管理があり、上質なものを作ることは当たり前で、その上で「どうやったら早くできるか」を常に考えています。そのためには、仕事の段取り、時間管理、人員配置など様々なことを追求する。いつも1000円の商品を800円で売ってもいいくらいの原価を目標にし、それを実行し結果を出し続けてきた。 

会社的には、とってもありがたい人材。もちろん、一点モノを作る作家も大切であるが、上質なものを量産しつづける“The製造業”という職人が、絶対必要なのである。「技術がないけど1時間に作る商品の数だけは誰にもまけたくない」と仲吉さん。でもそれはとてもレベルの高い技術であり、その証拠として沖縄県工芸士として知事から任命されています。「新人を鍛えるなら仲吉班長の3班」という噂を聞きましたと話したら、「昔からいつも悪者なんだよ」って笑った後に、「当たり前のことを当たり前にやってるだけ」と答えてくれました。噂の真相は職人としての心構えをもっとも適切に指導できる人だからではないでしょうか。

聞き手:和家若造

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