職人紹介
上原秀美

- 昭和29年9月30日沖縄県与那原町出身
- 与那原中学校卒業後ウエイトレスとして働く
- 18歳で糸満市に嫁ぐ
- 娘3人息子1人の4人の子供を育てながら近所の農家で菊やカスミ草を栽培する仕事をする
- 一緒に菊を作っていた同僚が琉球ガラス村の炊事係として働く。昭和59年、その方の紹介で琉球ガラス村の売店に勤務する。
- 休み時間などガラス作りさせてもらい、2年後工場勤務になる。
- 女性だけの花班で琉球ガラスの花作りの日々…といっても3年間は完成品の運搬係の「運び」の日々
- 平成9年男性の中心の吹きガラスの班に助手となり、ここ数年ではオリジナルの作品も手がける
- 現在、孫が8名
- ガラス職人になっていなかったら…専業主婦かな
花

上原さんは琉球ガラス村で働く前は、農家で花を作っていました。主な花は“菊”です。夜でも一部が明るくなっている畑を見かけますが、あれが菊畑で、日照時間を調節して生産しているんだそうです。大菊を作るのに沢山ある小さなつぼみを間引きして剪定したりしていたそうです。
琉球ガラス村の売店で働きだした時も隣の工場で花を作っていたのが気になってしかたがなかったらしいです。売店の休み時間に工場に見学に通い、やっぱり「花」を作りたいという気持ちを抑えきれず、2年後工場勤務することになりました。といっても始めは先輩が作った花を運ぶだけの毎日。その量は半端ではなく、1日に葉っぱなら5千枚、完成品の花なら5百本を作っていく大忙しの職場。琉球ガラスの花作りは、「はさみで花びらを切る人」「花びらをまとめで花を作る人」そして「出来上がった花を徐冷窯に運ぶ人」の完全分業制で、上原さんが花作りをさせてもらうには3年の年月がかかったそうです。

初めて作った花は5枚の花びらをバランスよく合わせるのが難しいハイビスカス。その後、バラ・サクラ・アサガオ・アジサイ・ヤシなど作り、ハサミを入れる仕事もできるベテランになっていきました。そしてオリジナルのデザインも色々考案していくようになり、ユリなどは上原さんのデザインが原案になっています。 生花もガラスの花も基本は一緒と上原さん。作り方は違っても、それを見た人の楽しくなる気持ちはかわらないと素敵な笑顔で語ってくれました。
助手

助手の仕事は、「仕上げ」と「吹き手」のアシスタント。仕上げが1名、吹き手が2名、助手が2名というのが通常ですが、若造が突撃取材の日にはもう1名の助手が違う仕事にまわっていたので、3名の助手を上原さんが一人でこなしていました。第一に優先するのは仕上げのアシスタント。決して仕上げの手を止めないようにしながら、吹き手の作業の進行状況を確認する。
「仕上げの仕事を優先するのは、恐い班長だからですか?」という若造の愚問に、上原さんは「よい作品を作るために仕上げは最も重要な仕事だからですよ」と真面目に答えてくれました。その後に「班長の正さんは優しいですよ」と笑って付け加えました。 その日は、仕上げの模様付けのために別のガラス素地を加える「生地巻き」や仕上げと吹き手のつなぎの「ボンテン」、吹き手が素地につけてから吹く「金粉の準備」と忙しく動き回る上原さん。その合間に使い終わったボンテン竿から不要のガラス素地をきれいに取って熔解窯の中で温める。冷めた竿だとガラス素地がくっつかないので、作業ができないからだそうです。

助手のベテランである上原さんから興味深い話が聞けました。吹き手の作ったガラスをボンテンする時には吹き手のクセをしっかり把握することが大切だそうです。硬めに作る吹き手にはボンテンにつけるガラス素地はやわらかめに、逆にやわらかめにつくる吹き手には硬めのガラス素地を用意する。そうしないとうまくくっつかずに、途中で落ちてしまうこともあるんですよと、企業秘密(?)を惜しげもなく聞かせてくれました。
家族

ガラス職人である上原さんは、家に帰れば糸満人のご主人の奥さんでもあり、4名の子供の母でもある。今は4名とも独立されましたが、まだ小さかった頃は家族の協力があったからこそガラス職人を続けてこれたと語ってくれました。ただ火傷が多いので、いつもみんなに心配かけているのは申し訳ないと両腕の火傷の痕を見せながら話す上原さん。でもそこには痛々しさは全く感じられず。あたかも勲章を見せるかのような感じでした。大きな火傷で2週間休んだこともあるらしいのですが、早く職場に復帰したくてウズウズしていたみたいです。たまたま連休なんかがあると出勤の日の仕事が楽しくてしょうがないくらいだから、ガラス作りが好きだから続けてこれたのでしょうねと心からの笑顔で話してくれました。
上原さんのお休みは基本的には3日働いて1日休みのシフト制。大人になった子供たちが、上原さんのスケジュールを聞いてから休みを合わせてくれるらしい。また、月に一度の日曜日の休みには建築の仕事をされているご主人とドライブするのが楽しみだそうです。ドライブの目的地は本島内のガラス工房ということが多いらしい。最初は上原さんの希望だったけれど、今ではご主人の方が積極的で、「ここに新しい工房ができたみたいだよ」と情報を持ってくるほどハマっているようです。ご夫婦の仲のよいのもガラス作りのお陰なのかもしれません…(ぺこり)。

ガラス工房に出かけて行って、色々な職人さんの働く姿を見るのが好きという上原さん。琉球ガラス村で働いていることを別に隠しているわけではないが、同業者ですっていうのもなんか変なのでこっそり行くみたいです。でも大体バレバレらしい…理由はどっかで見た職人だなと思ったら、以前琉球ガラス村に見学に来ていたお客さんだったなんてこともよくあるらしいので、そんな時は目が合って互いに微笑み合うのよって優しい笑顔で話してくれました。
やっぱり花

上原さんはオリジナル作品も作ります。沖縄県公募展にも3年連続で出展しています。2006年の作品は、桜をイメージした「春うらら」というお皿のセットです。いつもは班で助手を務める上原さんが仕上げを担当して、班長や吹き手のメンバーが、アシスタントにまわるそうです。そしてこれからビアマグカップのコンテストに出展するという作品も見せてくれました。デイゴの花のデザインを取り入れた「琉球の夏」といういかにもビールが旨そうなビアマグでした。
上原さんが初めてガラスを吹いた時には、加減がわからず吹きすぎてパンクしたとのこと。でも自分で吹いたり、仕上げをしたりすることによって、吹き手や仕上げの気持ちがわかるようになって、その後の助手の仕事がやりやすくなったと貴重な体験談を話してくれました。若造も仕事に取り組む教訓とさせていただきます。

最後にオリジナル作品には今後も「花」を取り入れていきたいと熱く語る上原さん。やっぱり花が好きなのよねと優しくトーンを下げて、ちょっと温度を下げて熱く語ってくれました。花で始まり、まだまだ花を続ける上原さんでした。
聞き手:和家若造