職人紹介

上原徳三

沖縄県工芸士 / 平成14年 認定番号25
平成24年度 沖縄県優秀技能者 知事表彰

まずは基本

まず始めの3年は工場の外の雑用で、材料の空き瓶の洗いと割り、出来たカレットを何度も洗い、重油の他にガラスが冷めないように燃やしていた燃料の薪割りなど。次の2年はガラス瓶とガラス製のフタをすり合わせて、密閉度を上げるすりきり作業。5年たってようやく工場に入ることが許されたが、2年間は型押しの押さえ、3年間はボンテンのかわりに完成品をつかんでいたカッパ作業。10年たってようやく竿を持たせてもらったが、当時は今より分業が進んでおり、素地の玉取りばかりを3年。吹き竿を持たせてもらうには十数年かかったとのこと。

見て盗む

「技術は見て盗め」と教わってきた上原さん。調合・窯炊き担当の職人が24時間三交替で窯を管理し、完璧な材料で完璧なガラスを作り続けていた時代でした。ガラス素地に気泡やゴミなど入ることなどありえなかったので休憩時間に練習なんてことは許されなかった。見習いが熔解窯など触らせてもらえる訳もなく…というか工場内にも入れてもらえなかった。厳しい職人ばかりで、失敗すると怒鳴られる日々が長く続いた。 そんな先輩たちが唯一技術指導してくれるのが、お酒を飲んでいる時だったらしいです。当時のガラス職人は職人気質の人ばかりだったと思い出すように話してくれた上原さん。飲み方も酔い方も半端じゃなかったようです。でもどんなに飲んで一日くらい寝なくても、しっかり出社してきて、きちんと仕事をこなしていたとのこと。

ハエ取りガラス

上原さんがハエ取り器を作っていた頃、仕上げの後に徐冷窯まで運ぶ作業に現在のようにボンテ竿ではなく、「カッパ」と呼ばれる道具が使われていた。言葉で説明するのは難しいのですが、マジックハンドみたいに全体をつかむように挟んで固定するもので、これを上手に使うとボンテ跡が残らない。 そして、素人若造をビックリさせたのは、ガラス製の吹き竿のお話。同じ薬瓶などを何百、何千と作るので、工程を短くして時間を短縮するために金属製ではなく、ガラス製のものを使用していたとのこと。中が空洞のガラス棒を25メートルほど引っ張って作るらしいです。急に引っ張ると薄くなるので拡声器で指示を出す職人のもとゆっくりと、地面に着くと温度差で割れてしまうので板を敷いての作業。やわらかいとすぐに垂れてくるし、もちろんねじってはいけない。上原さんも下積み時代にはそればかり毎日何十本と作ったこともあるとのことですが、慎重に慎重を重ねるけど、何度も失敗して怒鳴られる。数々のプレッシャーの中の作業だったらしいです。

やっぱりガラスが好き

現在でも年の数ヶ月はベトナムで仕事をする上原さん。技術指導や生産管理はもちろんですが、工場に隣接する宿舎に寝泊りして、24時間の様々なことに対応している。まだまだ停電も多いし、窯の不具合など何かあると真夜中でも起こされる。上原さんのそんな時の対応は、まるで『窯のお医者さん』。「どうしたの?」と窯に話しかけると窯が「苦しい」と答えてくれるので、症状に応じてボイラーのすすをきれいにしたり、酸素を多く送ったり対応するらしいんです。「窯の炎の色を見ると調子がわかるんだよ。いい時は窯から出る炎が笑っているからね。窯と話ができて一人前かな。」と本当に楽しそうに話してくれました。

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